【オリジナルマット工房】スタッフブログ
2010.06.02 見寺録-永平寺
永平寺(えいへい じ) 曹洞宗 吉祥山 開基:道元
福井県吉田郡永平寺町志比5-15
永平寺町は、平成の大合併で永平寺町、松岡町、上志比村の2町1村が合併して大きくなった。福井市の東部に位置し、福井市に接している。東西に横断するように大きな九頭竜川が流れ、流れに沿って” えちぜん鉄道”が走っている。
このお寺は、曹洞宗の大本山で広く知られている。 私の実家も曹洞宗で、親戚に曹洞宗の住職も何人かいたりして、なじみがある。ある住職は駒澤大学を出て永平寺で修行をし、お寺を継いでいた。
このお寺には3回訪れたが、いずれも参拝客であふれるばかりだった。観光で訪れる人と、末寺の各寺院が檀家を募って団体で参拝する人が、半々くらいだろうか。受付を通り、講堂に集められた参拝者は、参拝するための数々の注意事項を若い僧侶から説明される。その後は限られた部分ではあるが、自由に境内、堂宇内を見学できる。その注意の中に“修行僧(禅宗では修行僧を雲水ともいう)に声をかけないように”というのがあったと思う。修行僧と参拝者が身近に遭遇するお寺も珍しいのではないか。 なにせ永平寺には常時100名を超える雲水がいるというから、半端ではない。
境内全体を見渡せるような広々とした空間はないが 、山肌にびっしりと建物が建っている風で、そのほとんどが廊下で結ばれている。きりっとした空気が境内全体を支配していて、修行のためのお寺という見本のようなところだった。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
寛元二年(1244)道元によって開創された出家参禅の道場である。大仏寺山にあって、渓声山色豊かな幽邃(ゆうすい)の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。
道元は正治二年(1200)京都に生まれ、13歳で比叡山横川に出家した。24歳の春、中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、釈迦牟尼仏よ り51代目の法燈を継ぎ、28歳の時に帰朝された。
寛元元年(1243)、鎌倉武士の波多野義重公のすすめにより、越前国志比庄に弟子懐奨禅師等と共に移られた。翌二年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、ここに一人でも多く真実の仏弟子を育てるための道場が開かれた。以来、禅の仏法は脈々と相承護持され、座禅修行が綿々密々と続けられている。
◎普勧坐禅儀(国宝) 鎌倉時代
○嘉暦の梵鐘(重文) 鎌倉時代
○道元禅師嗣書(ししょ)(重文) 南宋時代
○明全戒牒(重文) 鎌倉時代
○正法眼蔵仏性第三(重文) 鎌倉時代
○後圓融院宸翰(重文) 南北朝時代
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