【オリジナルマット工房】スタッフブログ
2010.08.19 見寺録-横蔵寺
横蔵寺(おうぞうじ) 曹洞宗 道林山 開基:法道
兵庫県加古川市平岡町新在家900
播磨西国三十三箇所第29番
加古川市は、加古川が播磨灘に注ぐ下流に位置し、東播磨地方の中核をなしている。人口は27万人弱。臨海部の重化学工業地帯と、北部の田園地帯とはっきりと色分けされている。播磨平野の中にあって、降水量の少ない瀬戸内気候で水資源が少ないのだろうか、加古川市周辺一帯、ため池が非常に多い。
利便性では、交通の便が良く、大阪市までは電車でおよそ1時間の距離だという。
横蔵寺へは、加古川バイパス、加古川東ランプで下りて北東に100m、東加古川病院の隣にある。駐車場も広く、無料で停められた。
まず目を引いたのは、駐車場手前の墓地だった。きっちり区画が整理された見慣れた墓地の形態をしていない。低く盛られた土の上に墓石が乗っている。その土も特別な土ではなく、周りの土をかき集めてできているようだ。墓石も見慣れたものよりずいぶんと小さく、戒名などを刻んだ墓碑も見当たらない。かなり古い集合墓地の形態のように思えた。
参道の右側、山門前にはきれいに手入れされた日本庭園がある。凝った彫刻が施された山門の扉を見て本堂前に立つ。木々が茂って見通しがあまり効かない。ちょっと落ち着かない感じだ。正面にドンと本堂が見えたら、こじんまりとした山門内の印象もかなり変わるだろう。
開基の法道という人は、インドから中国を経て、道教と共に渡来したといわれる仙人で、この辺り播磨地域一帯の多くのお寺に、開基、開山として名を残している。役行者然り、本来は仏教の僧ではなかった人物が深くかかわっている寺院は何処か怪しさを持っている。この後何度出会えるか楽しみの仙人である。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
法道仙人の開基で、宇多天皇譲位の後、出家して法皇となられてからは法皇の潜邸として栄えたという。広大な寺領を誇ったが、戦国時代に衰微。その後、秀吉が三木城攻めの際ことごとく炎上し、1堂1坊残すのみとなった。この時、観音は宙を飛んで水葦村にある堂に難を逃れたとの伝承がある。元禄年間、真言宗から曹洞宗に改宗した。 十一面千手千眼観音は、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶父子の合作と言われている秘仏で、25年毎に開帳される。像の半身を互いに持ち、まだ見ぬ父と息子が一目会いたいと旅に出た運慶と湛慶。偶然出会えて、互いの半身像を合わせたところ、見事に一体の千手観音になったと伝えられる。
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参道 2009/08/16 |
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山門 2009/08/16 |
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日本庭園 2009/08/16 |
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本堂 2009/08/16 |
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墓地 2009/08/16 |
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