【オリジナルマット工房】スタッフブログ
2010.05.26 オリジナル商品に3アイテムを追加!その3
当社企画の、新しいデザインの玄関マットを3種作りました!!
絣は、模様がかすれたようになることから、そう呼ばれるようになったという説があります。我が国では東南アジアから琉球に伝わり、各地の木綿産地に伝播していきました。江戸後期から明治にかけては、日本各地で生産されるようになり、久留米絣、伊予絣、備後絣などが現在も残っています。発達の過程で絹や麻にも取り入れられ、絹では結城紬、大島紬などが知られ、麻では越後上布、能登上布などで生産されています。
絣の模様は、染色方法による特質から輪郭部分が“絣あし”というぼやけたものとなって、独特の風合いを醸し出すのが特徴です。経(たて)糸と緯(よこ)糸が織りなす幽玄のような文様。庶民の普段着として普及した絣ですが、その文様は様々で、単純な柄に当時のセンスの良さを感じます。
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絣 |
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絣 |
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この玄関マットは井桁(いげた)と呼ばれる柄をマットにしました。
2010.05.19 オリジナル商品に3アイテムを追加!その2
当社企画の、新しいデザインの玄関マットを3種作りました!!
千両万両柄マット
千両、万両は共に南天に似た赤い実を結ぶ吉木で、果実は10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで楽しめます。
その名の通り、金運を上昇させると伝えられ、古くから金運財運上昇の縁起物として、もてはやされてきました。東北より北では見られないということですが、関西ではごく普通に庭木として栽培されています。
上向きに実を付ける千両、たわわに実をもたげる万両を玄関マットにデザインしてみました。緑の葉と、たわわに実った真紅の実が開運上昇を象徴し、御家の末永い繁栄をもたらしてくれることでしょう。
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せんりょう |
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まんりょう |
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縁起物として、この千両万両柄のマットをご家庭の玄関に是非敷いて下さい。
2010.05.14 オリジナル商品に3アイテムを追加!
当社企画の、新しいデザインの玄関マットを3種作りました!!
カメ柄マット
2000年の冬、奈良県明日香村岡にある史跡、酒船石の北側の山麓から亀形の石造物が発掘されました。新たな謎の石造物の発見とあって当時は大変話題になりました。この亀形石造物は斉明天皇の時代(655~661年)の遺構ということが分かっています。
斉明女帝は大化の改新後の内政、百済との外交問題などの懸案に立ち向かう為、祭祀にすがり、このような施設を作ったのではないかともいわれています。 カメ柄マットは、この亀形石造物をモチーフにしています。
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古代より亀にまつわる縁起は数多い。長寿の象徴としての亀は「亀齢鶴算」という熟語がある。また「亀が書を背負う」ということは、大変めでたいとされてきたという。8世紀には霊亀、神亀、宝亀という年号が定められた。「亀負仙山」という考えでは、不老不死の仙人の住む山を亀が背負う。・・・など。
「歴史と旅」から網干善教氏の文章を参考にしました。
縁起物として、このカメ柄マットをご家庭の玄関に是非敷いて下さい。
2010.05.07 見寺録-叡福寺
叡福寺(えいふくじ) 単立(真言宗系) 磯長山 開基:聖武天皇
大阪府南河内郡太子町太子2146
新西国三十三箇所客番 河内西国三十三箇所21番
仏塔古寺十八尊第2番 聖徳太子霊跡6番 神仏霊場巡拝の道57番
太子町は大阪平野の南東部に位置する。古代大和の飛鳥(遠つ飛鳥)から、難波津へ通じた日本最古の官道、竹内街道が通り、近つ飛鳥と呼ばれた。また「王稜の谷」とも呼ばれるように、敏達・用明・推古・孝徳天皇など多くの古墳がある 。大阪府有数の歴史の宝庫といって間違いない。昭和31年、聖徳太子にちなんで太子町と名付けられた。
このお寺は、門前に駐車場があって、無料で止められる。南大門をくぐり、足を運べば広い境内が広がる。一面に砂利の敷かれた境内は掃き清められて、すがすがしい。量感のある金堂と、その向かいに建つ多宝塔がいい感じを出している。二天門をくぐって一段上にある境内はがらっと変わって、古色が漂う。浄土堂はほどよく古びて好きなタイプだ。
浄土堂の脇に鎮座する、聖徳太子らの墓所とされる叡福寺北古墳は、宮内庁により天皇家の陵墓に指定(磯長陵)されている。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
このお寺は戦後単立寺院となったが、もとは真言宗金剛峰寺の末寺で、所在地であるかつての地名に因んで石川寺、磯長寺などと称されていた。また、聖徳太子の磯長(しなが)墓を祭祀守護する性格の寺院であることから太子寺、御廟寺、聖霊院の号もあり、四天王寺、法隆寺とならんで太子信仰の中核をなした寺院である 。
寺伝によると推古天皇三十年(622)聖徳太子の陵墓を守護し永く追福を営むために一堂を構えたのが当寺の始まりで、神亀元年(724)聖武天皇の勅願によって創建されたといわれる。
現在の伽藍は、天正二年(1574)信長の兵火で焼失したあと再建されたものである。
○聖霊殿(重文) 豊臣秀頼が慶長八年(1603)再建した
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南大門 2007/08/04 |
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金堂 2007/08/04 |
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多宝塔 2007/08/04 |
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二天門 2007/08/04 |
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聖徳太子御廟 2007/08/04 |
2010.05.06 見寺録-永泉寺
永泉寺(えいせんじ) 曹洞宗 石動山 開基:行基
岐阜県多治見市池田町7-3
土岐三十三霊場24番札所
多治見市は愛知県と接し、名古屋中心部まで電車で30分という利便性から、名古屋のベッドタウンとして栄える。また、志野焼、織部焼など美濃焼の産地として知られる。
永泉寺は中央道多治見インターを下りて国道19号線に出て、春日井市の方向へ 5キロほど行った所にある。幹線道路脇によく見られる、商業施設が連なる中にこのお寺は建っている。
市が建てた案内板には、文化財が多く伝承されているようだが、一般参拝者に寺宝を公開することは行っていないようで、残念だった。境内はさほど広くはないが、銀杏の大木と、ぎんなんの強烈な臭いが印象に残る。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
この寺は鎌倉時代に行基を開基とし、奈良時代の皇后、光明子の発願により建立された池田五山のうち、蓮華院を江戸時代に移して造られた。池田五山は、地蔵院を寺長として蓮華院、仏光院、明円寺、観音院からなり、東美濃地方における華厳宗の一大道場として繁栄したが、徐々に衰退し、鎌倉時代以降は真言宗に 改宗された。その後、曹洞宗に改宗されたこのお寺だけが残り、かつての池田五山の仏像の多くが受け継がれている。
○聖観世音菩薩立像(重文)
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山門 2009/10/18 |
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本堂 2009/10/18 |
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境内堂宇2009/10/18 |
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2009/10/18 |
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大銀杏 2009/10/18 |
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