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【オリジナルマット工房】スタッフブログ

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2010.03.18  見寺録-医王寺

医王寺(いおうじ)  高野山真言宗  国分山  開基:行基
  石川県加賀市山中温泉薬師町リ-1

 北陸三十六不動霊場第27番  奥の細道札所

日本三薬師のひとつ。

このお寺は、加賀温泉郷の一つ山中温泉の街を見下ろす高台に立つ。山中温泉は平安時代からその存在が知られ、鎌倉期の武将や、松尾芭蕉も湯治に訪れたという。 また九谷焼の元祖、古九谷の産地であった。

参道は、温泉街から急な階段を上って国道の下をくぐっているが、車で来た私は駐車場がなかったので国道横に止めてしまい、その部分を体験できていない。もったいないが、参道の途中から参入する。

そこから本堂までは一直線に続く。まず最初に目にするのは甘露水なる湧き水。甘露水といえば、十一面観音などが持つ水瓶(すいびょう)の中に入っているとされる御清水。更に進むと、途中、いろいろな石仏が参拝者を迎える。 行場のようなところに不動明王が鎮座し、密教系の寺院であることがわかる。 本堂は近年建立されたもので、不思議な造形をしている。密教系の怪しさがある。

お寺について(ホームページなどで得た情報です)
 山中温泉にある行基開基と伝わる古刹。山中温泉を発見した行基は、国分寺を建立、薬師の尊像を安置したと伝えられている。鎌倉期に能登国鳳至郡大屋荘の地頭長谷部信連が再興、行基作であろう薬師如来像を掘り出し、国分山医王寺を創建した。
 多宝塔など現在の建物は昭和初年の大火で消失後、昭和三十三年に再建されたもの。京都の蛸薬師、出雲の一畑薬師と並び日本三薬師のひとつ。通称、お薬師さん。

○陶製金剛童子立像(重文)

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 参道 2009/04/11

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 滝不動 2009/04/11

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 地蔵 2009/04/11

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 本堂 2009/04/11

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 本堂 2009/04/11

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2010.03.17  見寺録-安楽寺

「あ」は一応これで終わりです。9ヵ寺ありました。

安楽寺(あんらくじ)  高野山真言宗  葛城山  開基:聖徳太子
  奈良県御所市大字稲宿1080

奈良県御所市(ごせし)は、葛城山麓に広がる町で神話の時代から重要な位置を占めている。4、5世紀のヤマト政権の時、葛城氏と巨勢氏は天皇家に仕える有力な豪族として栄えていたという。

このお寺は、飛鳥から吉野、和歌山へ至る街道の一つ、巨勢の道にある。持統天皇はこの道を通り、30数回に亘って吉野へ行幸したという。現在もお寺のある小さな集落は、舗装された道と、護岸整備された小川を除けば、往時とほとんど変わっていないのではないかと思う。お寺に往時の面影はないが、当時の唯一の遺構である重文指定の塔婆が残っている。塔婆といっても、この場合墓地に立っている細長い木の板のことではなく、塔状の建物のこと。

本堂からは全く見えないので、ぼんやりしているとその存在に気付かない。本堂までの道標に、塔婆のある方向へ矢印が出ているので見逃さないように。間違って車で集落にはいると、その道の細さに神経を使い、道標を見逃してしまう。事実、私はそれをやってしまい、このブログを書くためにもう一度行って写真を撮ってくる羽目になった。

この塔婆と同じようなものに、観心寺の建掛塔がある。観心寺のは三重塔を建てようとして、その途中で止まったもの。こちらは三重塔の屋根三層が朽ち落ちて廃屋同然になっていたものを、現在のような形にしたもの。屋根の葺き方は違うが、よく似ている。

お寺について(ホームページなどで得た情報です)
 聖徳太子草創により、葛城寺として土豪葛城臣に賜いて建立されたと伝える。開基当初は三宇の伽藍に、五院坊を配して葛城古道の東域にその威容と宗勢を誇ったが、秀吉の検地、江戸中期の大火、永年にわたる破損や腐朽により、大半を失う。
 現在残る塔婆は、三重塔の上部二層が零落して最下層が残ったもので、唯一当時の面影を残す。本堂、庫裏は昭和六十年再建された。

○塔婆(重文) 鎌倉時代末  平成二年解体修理

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 本堂 2007/02/11

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 本堂 2007/02/11

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 本堂 2007/02/11

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 塔婆 2010/03/17

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 塔婆 2010/03/17

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2010.03.16  見寺記-安養寺

安養寺(あんようじ)  真言宗泉涌寺派  東方山  開基:良弁
  滋賀県栗東市安養寺88

http://www.tohozan-anyouji.com/

滋賀県栗東市は、金勝持と中央競馬会のトレーニングセンターがあることくらいしか知らない。

このお寺は、名神高速道路の直ぐ南にある。車の喧騒を心配したが、道路の防音が行き届いているようで気になるほどではなかった。コンクリート舗装の味気ない参道があって、総門をくぐると結構広い境内が広がる。護摩壇のある広場を取り囲むように、また、奥の方には八十八ヶ所巡りなどがあり、いろいろな石像が配置されてにぎやかである。

この日は誰も参拝者を見かけなかった。行事以外では参拝者も少ないのかも知れない。このお寺で特筆すべきは仏像を多数お祀りしていることだろう。残念ながら拝観できなかった。ふらりと来て拝観できるようにはなっていないようだった。

お寺について(ホームページなどで得た情報です)
 天平十二年(740)聖武天皇の勅願により、金勝寺25別院の一つとして、良弁僧正が開基し、当初は東方瑠璃山安養寺としていた。承和元年(834)空海が中興し、伽藍造立の本願は時の太政大臣藤原良房から賜る。
 弘長三年(1263)亀山天皇が伽藍を再建、弘法大師作の愛染明王を賜り、勅願寺となる。長享元年(1487)足利九代将軍義尚、六角高頼討伐のため、陣所とする。しかし、兵火に罹り堂宇を消失。その後大永年間に復興した。元亀元年(1570)織田信長の兵火のため、本尊の薬師三尊を除いて、すべて焼失する。
 貞享元年(1684)戒山慧堅律師、旧跡の荒廃を惜しみ、仏殿僧舎を再建建立。十二神将像、日光菩薩・月光菩薩立像など多数の仏像を有する。

○薬師如来坐像(重文)  鎌倉時代
○石造十三重塔 (重文)

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 山門 2009/11/21

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 参道 2009/11/21

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 表門 2009/11/21

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 表門 2009/11/21

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 薬師堂 2009/11/21

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2010.03.15  見寺録-安国寺

安国寺(あんこくじ)  臨済宗東福寺派  景徳山  開基:
  京都府綾部市安国寺町寺ノ段1

京都府綾部市は、グンゼ発祥の地。戦前の宗教弾圧事件、大本教があること位しか私は知らない。足利尊氏誕生の地とは、ここへ来て初めて知った。あ、そういえば黒谷和紙もあった。学生時代、版画の先生が黒谷和紙を愛用していて、その良さを語っていたが忘れてしまった。

このお寺は、市街地からずっと離れ、国道沿いに田畑が続き、小さな集落が点在する中にある。アスファルトの細道から石段の参道が急に始まる。登り切って山門をくぐると、さて、どんな境内が広がっているのか、このイントロが何ともいえない。やっぱりお寺は、音楽だなーとつくづく思う。

境内はけっこう広い。正面の茅葺きの建物が仏殿。とってもいい感じ。内部の床は敷瓦で、窓は花頭窓。禅宗様の特徴を見ることが出来る。屋根に反りがないのは茅葺きのためだろうか。左にある庫裏を含め、茅葺きの古い民家といった趣がある。京都府の田舎には茅葺きの建物がよく残っていると思う。有名な美山の集落しかり。飛騨の合掌造りほど建物の規模が大きくないが、トタンで屋根を覆わず、茅を葺き替えて維持している。立派なことです。

お寺について(ホームページなどで得た情報です)
 正暦四年(993)頃、恵心僧都62才の作である子安地蔵菩薩を安置して光福寺としたのが創まりで、上杉重房の外護を受け上杉家の氏寺として発展していった。上杉頼重の息女清子が足利貞氏と結ばれ当山の地蔵菩薩に祈願すること7日、行満る暁、星を呑むとの夢をみて懐妊し、嘉元三年(1305)上杉氏所領内の光福寺々内塔頭の常光寺に於いて尊氏公を安産した。
 その後は足利家からの帰依も受けるようになり、南北朝のはじめ足利尊氏が弟直義とともに夢窓国師の勧めに従い、国土安穏泰祈願並びに元弘以来の戦死者供養のため、暦応二年(1339)全国二島六十六ヶ国に安国寺を建立する。暦応四年三月(1341)円派の仏師豪円作の釈迦三尊坐像を本尊として光福寺を改称し、丹波の安国寺を創立する。 寺は享保二十年(1735)、山崩れのため損壊したが、寛保三年(1743)に再建されている。

○本尊釈迦三尊坐像(重文) 室町時代
○木像地蔵菩薩半跏像(重文) 平安時代初期

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 山門 2008/10/25

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 山門 2008/10/25

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 仏殿 2008/10/25

   
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 庫裏 2008/10/25

 
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 庭園 2008/10/25

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2010.03.13  見寺録-安岡寺

安岡寺(あんこうじ)  単立(天台宗系)  南山  開基:開成皇子
  大阪府高槻市浦堂本町41-1

  新西国三十三箇所客番  近畿三十六不動尊霊場第12番
  摂津国三十三箇所第25番

このお寺への参拝手順を間違った。車で来たものだから、駐車場へ止めると、西にあいた山門から入ることになる。これでは南にある総門から、ゆっくりと参道を登って本堂にお参りするという醍醐味が失われてしまう。参道もお寺参りの重要な演出になる。時系列で味わう芸術には、イントロというか導入部分があって、徐々に高まっていき、主題が現れ、感動を与える。お寺も同じだろう。いきなり横の方から主題に出会っても、感動が高まらない。完全に失敗した。

境内は広くなく、見るべき伽藍も少ないが、不動明王の前に広がる護摩焚き場が妙に広い。盛大に護摩を焚き、空に火炎がとどくがごとく、密教の行事が行われるんだろうと想像した。

このお寺は、市街地にぽつんと残された丘の様な低い山の中腹にあるので、見晴らしのきくところか見ると、何処彼処も建物しか見えない。

お寺について(ホームページなどで得た情報です)
 この寺は、第49代光仁天皇の子で第50代桓武天皇の兄にあたる開成皇子によって宝亀六年(775)に創建されたと伝えられ、開成皇子が自ら一刀三礼の観音像を刻んで本尊とし、安置したといわれている。 戦国時代に高山右近の兵火に遭い荒廃したようであるが、17世紀後半の寛文年間に復興され、4塔頭をもつ大きな寺となり大いに栄えたという。しかしながら、明治時代の廃仏毀釈の法難により現在の規模になったといわれている。 安岡寺はその「安岡寺」という名より、高槻観音という名称で親しまれており、神峯山寺を北山観音というのに対し、安岡寺は南山観音とも呼ばれ、小高い山全体が、昔から観音霊地として信仰されている。また2月1日、大阪摂津の「節分」のさきがけとして大峰山桜本坊の行者による柴燈大護摩供が厳修され、多くの参拝者でにぎわう。

○十一面千手観音菩薩坐像(重文) 平安時代初期

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 山門 2007/07/22

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 本堂 2007/07/22

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 境内 2007/07/22

   
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 不動明王 2007/07/22

 
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 境内から南方を見る 2007/07/22

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