【オリジナルマット工房】スタッフブログ
2010.03.12 見寺録-安倍文殊院
安倍文殊院(あべもんじゅいん) 華厳宗 安部山 開基:安倍倉梯麻呂
奈良県桜井市安倍641
大和十三仏霊場3番 文殊菩薩 大和ぼけ封じ霊場
大和七福八宝めぐり 弁財天 神仏霊場巡拝の道 第34番
我が家の初詣は、ここ15年ほど桜井市の大神神社に詣っている。少し前まで、近鉄電車の初詣切符には、大神神社と並んで阿倍文殊院があって、祈願寺としてよく知られている。
安倍晴明の縁の地として、陰陽道に関心のある人は訪れるだろうし、三大文殊ということから知恵の神さんとして合格祈願に訪れる人もいる。とにかく、祈願、祈願でお願いする人が訪れるお寺。 絵馬の数でそのパワーが偲ばれる。でも、神仏分離で育った私には、お願いするのは神社という観念があって、ちょっと異質な感じがする。
お寺にもいろいろあるなーと、おもしろくなる。禅寺のように修行者や檀家に限って救われるところもあれば、広く人々の娑婆の苦行を救おうとするお寺。阿倍文殊院は後者に属するが、人々を救うにはお金がいるようで、ついに電子マネーでお布施が出来るようになったという。このシステムが参拝者の要求で実現したとしたら、まっとうなお寺だと思う。そうでないとしたら、ちょっといやだ。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
孝徳天皇の勅願によって大化の改新時(645)に、左大臣となった安倍梯麻呂(あべのくらはしまろ)が阿部一族の宇治寺として建立したのが「安倍山崇敬寺文殊院」(安倍寺)である。しかし一般的には古来より、日本三大文殊(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)の第一霊場「大和安倍の文殊さん」として名高い。
永禄六年(1563)兵火に会い一山ほとんど灰燼に帰するが、その後寛文五年(1665)に至って現在に残る本堂(文殊堂)と礼堂を再建された。
○文殊菩薩像(重文) 鎌倉時代 像高7mの巨像、名仏師快慶の作
○白山神社本殿(重文) 室町時代
2007年(平成19年)4月、全国の寺社仏閣では初めて電子マネーのEdy、iD、PiTaPa及びQUICPayを導入した。
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山門 2005/12/30 |
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参道 2005/12/30 |
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本堂 2005/12/30 |
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本堂 2005/12/30 |
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仲麻呂堂 2005/12/30 |
2010.03.11 見寺録-穴太寺
穴太寺(あなおじ) 天台宗 菩提山 開基:大伴古麻呂
京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
西国三十三箇所21番札所
亀岡は京都市の西北にあり京都市と隣接している。古代から丹波、丹後地方との交通の要衝として、近年は京都のベットタウンとして栄え、特にJR山陰線が、複線電化されてから一層発展している。このお寺は市街地の西、のどかな田園地帯にあり、まだここまでは都市化の波が及んでないようだ。
西国観音霊場の札所となっているお寺は、巡礼者がバスで大挙訪れていたりする。この日もその団体に出会い、カメラのシャッターを押すのを頼まれた。どうでもいいことだが、私はシャッターを押すのを頼まれることが多いように思う。シャッターを押す前の一言「ハイ、チーズ」をいつか「うんこくさい」に変えてやろうと思う。ほんとうにどうでもいい。
参道という感じではない道に駐車場と土産物屋がちらほらあるだけ。境内はさほど広くはなく、灯籠がぼんぼん立っていてちょっと窮屈な感じ。本堂は典型的な入母屋造り本瓦葺きの和風建築で、どっしりっとしている。仁王門を入って左手に多宝塔がある。天台、真言などの密教系の寺院には塔がないと損をしたような気になる。よってここは◎。ほとんどの建物が江戸時代の再建というが、古寺の雰囲気が色濃くある。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
奈良時代末期、慶雲二年(705)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立されたと伝える。建立の後再三の兵火により焼失し、現在の堂宇は徳川末期に再建されたもので、本尊の木彫聖観音立像は、仏師感世の作で秘仏として本堂厨子内に祀られている。また、本堂内の室町時代の作といわれる木彫涅槃像は、病魔平癒の「なで佛」様として名高い。 毎年8月9日は書院と庭園とともに数ある寺宝の一部を公開している。庭園は本堂や多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園のひとつである。
○木造聖観音立像 鎌倉時代 1968年11月に盗難に遭い、未発見。
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遠景 2006/04/23 |
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仁王門 2006/04/23 |
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本堂 2006/04/23 |
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本堂 2006/04/23 |
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多宝塔 2006/04/23 |
2010.03.10 見寺録-化野念仏寺
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ) 浄土宗 華西山 開基:空海
京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
京都嵯峨の界隈では有名なお寺になると思います。土産物屋が軒を並べる細い車道から、いい感じで斜めに参道の石段が続く。拝観料を払って進むと石仏郡が右手に現れ、左に折れるとよく知られたあの無数の石仏に出会う。想像していたより広くない・・・。 風化して仏がわからないものも多い。角が取れて氷が溶けるように丸くなっている。ここの石仏は無縁仏が形になって残ったもの。一体の石仏が、一人を供養しているとは限らない。供養されず死んでいった人も多いだろうに。
ここはまるで墓のお寺。新旧取り混ぜ、墓石だらけ。死んでもこうやって供養されれば幸いか。人とのつながりがずっと続くということか。 そう思いたいということだろうと私は思う。合掌。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
弘仁二年(811)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされる。法然が念仏道場を開き、念仏寺となる。本尊は阿弥陀如来像(寺伝に湛慶作というが実際の作者は不明)、本堂は江戸時代の正徳二年(1712)に寂道により再建されたものである。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治三六年(1903)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。
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参道 2008/11/02 |
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参道の石仏 2008/11/02 |
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西院の河原 2008/11/02 |
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西院の河原 2008/11/02 |
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庫裏 2008/11/02 |
2010.03.09 見寺録-飛鳥寺
飛鳥寺(あすかでら) 真言宗豊山派 鳥形山 開基:蘇我馬子
奈良県高市郡明日香村飛鳥
新西国三十三箇所9番札所
このお寺には4回ほど行きました。講堂と鐘楼だけのような小さなお寺ですが、日本最古の寺院と言うことで、引力は強い。観光客が途切れることがあるんだろうか。必ず何人かはお参りしているように見受けられる。
飛鳥大仏の面長な顔は、数多の仏像の中でも特異な部類にはいると思う。たまに見たくなってつい訪れてしまう。 この仏像に興味がなければ、建築物に古さも大きさもないので、ほとんど記憶に残らないのではと思うが、飛鳥寺周辺にはおもしろいものがあって記憶に残る。蘇我入鹿の首塚と飛鳥坐神社。入鹿は言わずと知れた大化の改新の犠牲者。歴史の深淵に思いを寄せる。飛鳥坐神社は陰陽石で、男根、女陰が風化していい味出してます。まだ見ていないが、毎年2月に奇祭が行われるという。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
蘇我馬子が排仏派の物部守屋を倒した翌年の崇峻天皇元年(588)に馬子が発願し、推古天皇四年(596)に完成した日本最古の本格的寺院とされている。当初、法興寺と呼ばれ後に元興寺に改称、更に地名に因み飛鳥寺と呼ばれるようになったといわれている。
かっての伽藍は建久七年(1196)の火災によって塔堂すべて焼失し、室町時代以降は荒廃してしまう。現在は寛永九年(1632)及び文政九年(1826)に再建された、安居院(あんごんいん)と名づけられた本堂とそれに付属する建物だけの小さな寺になってしまっており、かつての大寺の面影は見られない。
○銅造釈迦如来坐像(重文) 推古天皇十四年(606) 飛鳥大仏
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山門付近 2007/05/12 |
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講堂 2004/02/14 |
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入鹿の首塚と甘樫丘 2004/02/14 |
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飛鳥坐神社 陰陽石 2005/04/23 |
2010.03.08 見寺録-秋篠寺
今回から私のお寺回りをご紹介します。順調にいけば380ヵ寺ほどになると思います。どうぞお付き合い下さい。
秋篠寺(あきしのでら) 単立 山号無し
奈良県奈良市秋篠町757
このお寺には3回ほど行きました。競輪場が近くにあるので何となく落ち着かない。最寄りの西大寺駅から歩いてこられる方は、競輪場を意識することはないかもしれないが、車で行くと見てしまう。欲望渦巻く世界と禁欲の世界。心がざわつきます。
その日は受付で拝観料を払うとき、大学生くらいの若いお兄さんが対応していた。僧侶風でもなく、普通の。たいていこういう場面ではご年配の方々、若くても女性が多いと思うが、新鮮だった。
このお寺はやっぱり伎芸天立像だろうか。なにもかも柔らかく、美しい曲線・・・。彼女もいいけど私は十二神将像の小さいけれどエネルギーみなぎる姿が印象に残った。
本堂は基壇が低く、屋根も軽やかで威圧感がない。鎌倉時代の建築とは思えない趣があり、気に入っている。
お寺について(ホームページなどで得た情報です)
創建年代については明らかではないが、開基は善珠とされている。宝亀十一年(780)秋篠寺へ封戸が施入された記事が「続日本紀」に見えるので、それ以前に創建されていたことは確かである。光仁天皇の勅願によって興福寺の善珠が創建した奈良時代最後の官寺であったが、平安時代末期、兵火のため伽藍の大半を焼失し、今もその跡は苔や落葉の下に一部往事の礎石をとどめている。
◎本堂(国宝) 鎌倉時代初期 寄棟造・本瓦葺、屋根は比較的ゆるい勾配のため、古代建築と見間違えるほどの落着きがある。純和風で天平の威風を遺す貴重な建物。
○伝・伎芸天立像(重文) 頭部のみが奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造
○薬師三尊像(重文) 平安時代
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本堂 2008/03/15 |
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山門 1999/08/22 |
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2008/03/15 |
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2008/03/15 |
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往時をしのばせる礎石 2008/03/15 |
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